


前回の記事では、きむらさんの人生観や絵本を読んだ人に
感じてほしい事をお送りしました。
今回は、きむらさんのもっと深いところ、
「なぜ絵本作家になったのか?」に迫ります。
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そもそも絵本作家になったきっかけっていうのは
何なんでしょうか?
僕は「得意なものも何もない、何にもできない」、
というコンプレックスでいっぱいだったんです。
それが高校2年生のときに絵を描いたり、
文章を書いたときにほめられたりして
「ああ、こんなおもしろい世界があったんだ」って
やっと切符を得たような気持ちになれたんです。
こうやって話しながら、
「一体自分はいつから物事を前向きに考えるようになったんだろう」
と考えていたのですが、きっとそこから前向きになれたんでしょうね。
------その時点で既に絵本作家っていう意識はあったんですか?
そのときは全然ありませんでした。
当時は、日本のゴッホを目指そうとか、
芥川龍之介のようになろうという気持ちでした。
母親にも、
「絵描きなんてどうやって食っていくの?」
とか、
「作家なんて何万人に一人がなれるの?」
と言われて、「生活の安定」と「好きな事をする」の両立に悩みました。
生活するために、高校の制服から私服に着替えて、
自分の描いた絵を持って目黒、恵比寿、渋谷、
ときには新宿まで足を伸ばして、レンタルアートの営業を始めました。
喫茶店に飾って、月に1回取り替えて、というようなことです。
そうやって、好きな絵を描いていろいろするうちに、
子供の絵画教室の案が思いつきました。
教室っていうのは大体2時間ぐらいで授業が終わりなので、
毎日2時間働けば好きな絵が描ける!と思いました。
子供に絵を教えながら、自分も好きな絵が描ける、
で、それをミックスしてたどり着いたのが「絵本」だったんです。
絵画教室は目黒の大鳥神社の近くで始めました。
…まあ、全然儲からなかったんですけど(笑)
でも、子どもと接するうちに
「ああ、絵本ってすごいな」と思うようになりました。
高校時代から「芥川龍之介」とか「ゴッホ」を目指していましたが、
「絵本ってストーリーも絵も両方ともあるじゃん!」と思ったんです。
そこで、「自分を表現するのにこんないいものがあったのか」
というのがわかって、結果として今は絵本作家と呼ばれているわけです。
だから、自分の世界を作るために絵本作家になったと
言えるかもしれません。
僕の絵本は、「子供に何かを伝える」というのではなく、
「人間に伝える」ことを目標にしていますので、
子供「に」ではなく、子供「から」読んでほしいと思います。
子供から全人間に伝えたいと言う方が自然かもしれません。
「幸せとは何か」、というのは大人にも伝えたいわけで、
「あらしのよるに」だって、上は80歳以上のファンの方もいらっしゃいます。
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「自分の進む道は絵本だ!」と思ったのは
大体何歳ぐらいのときなんでしょうか?
絵画教室のときですか?
いえ、そのときもまだ思っていませんでした。
いつだったんでしょう。
…もっと言うなら、絵本作家を目指したことは一度も無いかもしれないです。
今でも自分では絵本作家とは思っていないと言いましょうか。
映画の脚本もテレビも、コミックも絵本も根っこは一緒なんです。
根っこは自分の中から生まれてきたものを
どういう形にするか、というだけですから。
形にするその中のひとつが絵本というだけですね。
今もやりたいことが絵本とは限りませんから。
コミックの原作もあるし、芝居も小説もテレビもエッセイも出てますし、
まあ、キリがなくいろいろやっています。
「いちむらゆうき」という「きむらゆういち」のアナグラムの名前で
女性誌にサスペンスを掲載していた事もありますよ。
他にも医学絵本も描きました。
専門的にやるといくらでも難しくなって親も知らないような事を、
「ようするに」と称してわかりやすく説明する本です。
------驚くほど幅広くいろいろやられてるんですね。
第2回の記事では、きむらさんが絵本作家としての道を
歩み始めたきっかけとその活動範囲についてお送りしました。
僕は「きむらゆういちさんといえば絵本!」という印象だったので、
絵本だけにとどまることなく、あらゆる方向で表現し続けるその姿勢、
特にサスペンスまで執筆されていたのには驚きです。
次回では、きむらさんの「今」に迫ります!
第3回へとつづく

ご自身の過去について語るきむらさん。

絵本にとどまらないきむらさんの作品の一部。


